銭湯のご紹介

お湯につかりながら立山あおぐ特等席を楽しんでください

 

東京の銭湯に立山が描かれる意味

町田 忍

東京の銭湯のペンキ絵(背景画 *1)に立山とライトレールを描いて富山をPRする。これは銭湯史上初と言ってもいいぐらいの画期的な試みです。
理由の1つは、PRの場に銭湯を選んだこと。東京の銭湯の初代経営者は北陸3県の出身者が8割を占めると言われており、富山の人も多いんです。いいところに目をつけましたよね。
2番目の理由は、ペンキ絵で描かれるのは圧倒的に富士山が多く、立山はほとんど描かれていないこと。富士山の次に描かれる景色は何かと言ったら、特にないんです。強いて挙げれば、空想上の風景ですね。
なぜ、富士山ばかり描かれるのか? あの絵の持つ意味を考えてみました。
ペンキ絵のある銭湯の多くは壁際に浴槽があります。富士山は川あるいは海とセットに描かれており、山に降り積もった雪が溶けて川や海を経て浴槽に流れ込むように見ることができます。富士山は昔から信仰の対象でした。そこから考えると、銭湯の絵には、富士山で浄化された水が湯船に注がれ、その水によって心身を清めるという宗教的な意味がこめられているのではないか…。こういう見方もできるんですね。山によって浄化されることを表現するのであれば、立山も信仰の山でしたから、描かれても何の不思議もないんです。
3番目の理由はライトレールを描いたこと。ペンキ絵に電車というのは意外な組み合わせと思われるかもしれません。しかし、大正時代、日本で最初のペンキ絵(*2)のうち、男湯には蒸気機関車が描かれたという話が伝わっています。当時、蒸気機関車は最先端の乗り物でした。富山市内を走るライトレールも、都市計画に基づいたニュータイプの路面電車です。
心身を浄化する山と文明の最先端を行く乗り物。一見相反するようですが、両者に共通するのは心を癒す、ほっとさせるところです。僕はライトレールにも乗ったことがありますが、乗り心地がよく、のんびりと車窓からの風景を楽しみました。
──お風呂に入って体を清め、ゆったりとくつろぎながら、富山を知ってほしい──これが銭湯で絵を見た人へのメッセージです。

現在、ペンキ絵師で現役で活動しているのは中島盛夫さんと丸山清人さんの2人だけです。全国でたった2人です。中島さんは65歳、丸山さんは75歳。中島さんには1人お弟子さんがいますが、その方が一人前になっても3人。まさに、絶滅の危機にあります。僕はこういう芸術にこそ、文化勲章をあげるべきだと思いますね。
今は銭湯ブームで、銭湯を使ったイベントも数多く行われています。行政とタイアップしたものも多いですが、今回ほど規模の大きいイベントは初めてです。その意味でも画期的ですし、今後に期待したいですね。

*1:銭湯の浴室正面の背景に描かれた巨大な壁画のことで、ペンキを使って描かれることからこの名がついた。昭和40年代までに建てられた多くの銭湯に描かれ、東京都内では今なお200件の銭湯にペンキ絵が残る。

*2:大正元年、神田猿楽町の銭湯「キカイ湯」で、子どものお客さんを喜ばせるため、ご主人が絵師に頼んで絵を描いてもらったのがペンキ絵の始まりとされている。

ホットして富山市PRプロジェクト アーティスト

越中富山の立山ペンキ絵は私たちが描きました。
右から町田、丸山、中島の各氏
町田 忍(まちだ しのぶ)氏

コーディネーター
庶民文化研究家。1950年東京生まれ。日本旅行作家協会会員、日本ペンクラブ会員。お菓子や薬、雑貨など庶民生活に密着した文化を研究、収集。「銭湯遺産」「風呂屋の富士山」など銭湯に関する著作も多数。

丸山 清人(まるやま きよと)氏

銭湯背景画絵師
1935年東京都杉並生まれ。親戚が営む背景広告社入社後、1973年に独立。叔父である丸山喜久男氏に師事した。銭湯のほかにも老人施設や一般家庭にも絵を描いている。

中島 盛夫(なかじま もりお)氏

銭湯背景画絵師
1945年福島県出身。背景画絵師の故・丸山喜久男氏に師事。ローラーを使い効率の良い背景画制作の方法を考案。丸山清人氏とは兄弟弟子。現在、日本のペンキ絵師は丸山、中島の両氏のみ。

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