富山の特産品・産業
季節だより 春夏秋冬

冬号

旬の寒ぶり、おいしい味をおいしいままに

寒ぶり

富山の冬を代表する味覚といえば、やはり「寒ぶり」ではないだろうか。たっぷりの脂を身にまとった精悍な姿は、まさに富山湾の王者と呼ばれるにふさわしい風格だ。
寒ぶりの水揚げで賑わう岩瀬漁港から、飛騨高山へ至る約90キロの道のりは「ぶり街道」と呼ばれる。江戸時代、岩瀬で獲れた寒ぶりは「ぶり街道」を通って高山へ運ばれた。徒歩で3〜7日間を要したといわれており、その間の劣化を防ぐため、水揚げ後は塩ぶりに加工された。高山へ運ばれた塩ぶりの一部は信州へも運ばれ、さらに値打ちを上げたと言われる。成長にともなって名前を変えるため「出世魚」と呼ばれるぶりは、水揚げ後出世街道をひた走る。

昆布〆
ほたるいかの黒作り

出世といえば、近年「ぶり街道」は「ぶり・ノーベル出世街道」として観光振興にひと役を買っている。ノーベル賞受賞者の白川英樹氏(化学賞)、利根川進氏(医学・生理学賞)、小柴昌俊氏(物理学賞)、田中耕一氏(化学賞)の4氏が、この街道沿いの地にゆかりがあるからだ。出世魚であるぶりと、ノーベル受賞者の「出世ぶり」をかけたユニークなネーミングだ。
寒ぶりを使った数ある郷土料理のなかに、「かぶら寿し」がある。雪に覆われる厳しい冬を乗り切るため、先人たちが保存食として考え出した料理が「かぶら寿し」のルーツと言われる。魚が豊富に獲れる富山では、その恵みをできるだけ長く味わうために、様々な趣向が凝らされてきたのだ。
その代表例が「昆布〆」。もともと刺身を長持ちさせるために考えられた保存法だが、昆布の旨味が魚に移ることで刺身の味わいが深まるとあって、最近は調理法のひとつとして親しまれている。

「イカの黒作り」も、富山ならではの保存食だ。今から300年以上前の江戸元禄年間に、冬期の栄養源として作られたのがはじまりで、その後に北前船の船員が保存食として食べていたものが広まったと言われる。近年の研究で、イカ墨には防腐作用があることが解明されており、先人の知恵にただ驚かされるばかりだ。ちなみに「イカの黒作り」は、身が引き締まり肝臓が大きくなる冬のイカで仕込むのが最もおいしいと言われる。まさに冬が旬というわけだ。

海の幸に恵まれた富山。その恵みを無駄にせず、1日でも長く保存することで、余すところなく味わい尽くそうとした先人たちの英知は、優れた保存方法や加工技術を生んだ。それらが、今日まで脈々と受け継がれているのだ。

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